Kami-PR’s blog

主に関西でPR(Public Relations)業を営んでおります。プライベート、ビジネス、業界のちょっとした裏話、色恋もの、ゲスネタ等々、粛々と綴りたいと思っております。お仕事のご依頼はこちらまで⇒godlucky618★gmail.com ※★を@に変えてメールください。

ご挨拶

はじめまして。

 

この度、人生初のブログを開設することになりました。

 

動機はと言いますと、、、

①仕事上文書を書くことがあるため、自身の文章能力を上げたいと思って(真面目

②ブログを書くことで自身のネットワークを広げたいと思って(まぁまぁ真面目

③PV上がってきたら仕事も舞い込んで、あわよくば広告収入もできんちゃーん(てへぺろ

 

こんな感じです。

 

自分は表現力が乏しいところがあり、日頃から相手の印象を気にしたり、「まずは話を聞いてから自分の考えを言うタイプなんで…」といかにももっともらしい事を言ってそうで、結局は自分の思っていることを口に出さないチキン野郎な部分がありまして。

 

PR業界、広告業界に身を置くものとしてこのままではダメだなと思い、まずは言葉で話すよりも文章で表現することから始めようと思いました。

 

ってなワケで、「ブログ 開設の仕方」でググったところ、一番始めに書くのはやはり<自己紹介>ということで、チキンな僕はその流れになんの躊躇もなく便乗したいと思います。

(少し長くなりそうなので、まずは簡略化した箇条書きの経歴を書きます。その下にクソ長い詳細情報を記載しますのでご興味ある方は、コーヒー一杯とある程度の覚悟をもってお読みくださいませ。面倒な方はシャーッとスクロールするなり「Pg Dn」キーを連打してください)

 

<自己紹介>

大阪府東大阪市出身。大阪市在住。次男。三十路。クセ毛気味。

大学では体育学部体育学科専攻。中学・高校体育教員免許取得

大学卒業後、教師の道は歩まずアパレルシャツメーカーに就職(①)。新卒1年目に会社がまさかの倒産。

フリーランスのスタイリストに(②)。

スタイリストの傍ら、裏参道(表参道の裏エリア)のオシャレカフェでバイト(③)。

しかし、東京生活があまりうまく行かず帰阪。

ニート2ヵ月経験後、ユニクロ旗艦店にて準社員入社(④)

大阪のPR会社へ就職(⑤)。テーマパーク、商業施設、エナジードリンク、不動産、メーカーetcのPRを担当。

4年半在籍し、競合他社からのスカウティングにより転職(⑥)。大阪支社立ち上げメンバーとして採用されるも、同僚との相性が合わず約6ヵ月で退職。

その後、福祉用具メーカーに入社(⑦)。営業兼広報担当として奮闘するも企業体制及び業務内容にイマイチ刺激が足りず退職。

再びPR会社へ転職(⑧)。←いまここ

 

 

いや、仕事変わりすぎ。

大学卒業してから8個も会社経験してるやん。

更に言うと、今の会社で働きつつ、週一でバーでバイトしてるから、それも入れたら9個やん。

まだ言うても三十路でっせ。ボンバイエですよ。

こんな奴、皆さまの周りでおりますでしょうか?

 

自分を肯定するわけでも否定するわけでもないですが、なかなかの苦労人だと思われますよね。いや、はい、苦労してます。。。

社会的には僕みたいにコロコロ転職する奴は能ナシ(脳ナシ)の使えない奴というレッテルを貼られてもおかしくないでしょう。。。

 

何をもってイイとするかは人それぞれの価値観だとは思いますが、1つの会社でずっと働いている方は、少なからず今の僕よりははるかに尊敬に値するものだと思います。

 

転職によるステップアップが当たり前の時代にはなっていますが、僕の場合、ちょっと事情が違いますね。自分で書いててもなんやコイツってなってます。

 

 

まぁ、長くはなりましたが、今は今で今の環境に満足しており、やはり自分はこの仕事で生きていきたいなと思っているので、兎にも角にも頑張って働き続けたいと思います。

(数年後どうなってるかは神のみぞ知るということで)

 

次回は、なかなか理解されにくい僕の仕事内容について書きたいと思います。

 

最後までお付き合い頂きまして有難うございます。

引き続き、継続して更新していけるよう頑張る所存でございますので

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

(以下、自己紹介詳細)

 大阪府東大阪市出身。大阪市在住。次男。三十路。クセ毛気味。

スポーツ全般が得意(でした。(長距離走は苦手です。

経験したスポーツは、サッカー、野球、水泳、陸上、バスケ、器械体操…etc

はい、バク転できます。大車輪してました。(自慢)

小学4年生のときに「チビリンピック」という陸上大会で100m走で14秒20というタイムで優勝したこともあります。(自慢)

そんなこともあり、将来は何らかのスポーツに関わる仕事がしたいと思い、大学は体育学部体育学科を専攻。周りは当然の如く、各クラブへ所属していましたが、「え、大学行ってまで本気で部活動するんはしんどない?」というナメた態度で帰宅部に。

半分、義務感で体育教師の免許は取得するも、教師の道には進まず就職活動でもスポーツとは関係のないアパレル業界へ。

某シャツメーカーへ就職し、東京進出するも、まさかの1年で会社が借金地獄で会社更生→倒産。

「サラリーマンなんか糞喰らえじゃボケー!」ということで、ファッションにどっぷり浸かりたい、カッコイイと思われる仕事がしたいという動機でファッションスタイリストの道へ。

あるスタイリストに師事し、アシスタントとして約1年程ゲロ吐きながら奮闘し、後半にはある編集者に気に入られ個人的に仕事を頂くまでにはなったが、それでもまだ食っていけないという事で、裏参道(表参道の裏スポット)でカフェのバイトと掛け持ち。

そのカフェはある会社から独立された方々が立ち上げた会社で、カフェのオープニングから携わり、クリエイティブな仕掛けをされていた(現在もオッシャーなケータリングや有名ブランドのウィンドウディスプレイをプロデュースしていたり…)ので、この会社にしばらくお世話になるものアリだな…と思っていました。

が、いかんせんオープンして間もないこともあり、安定した売り上げを確保するまではバイトの身であった自分はシフトを削ることを余儀なくされ、なかなかバイトに入れず、「なーんかうまい事いかん。。。東京生活楽しいけど、自分が生きていくには違うのか…」と自暴自棄になり、故郷の大阪へ帰ってきました。

 

(ヤベ、やっぱ長いよね。僕の薄っぺらい歴史なんか興味ないっちゅうねん。シャーッとスクロールするか、「Pg Dn」キー連打してもらっていいんで。)

 

大阪へ帰ってきたものの、自分のやりたい事が見つからず、実家暮らしという甘ーいスネをしゃぶり尽くし2ヵ月のニート生活。

このままではさすがに腐ると思い、「とりあえずバイトでもするかー。せっかくやし(当時)日本一の会社と言われるユニクロにでも行ってみっか。」とのことで、旗艦店でフルタイム(準社員)契約で勤務スタート。

マニュアル固めの軍人のような働き方をしつつ、自分のやりたいことを模索。

就活時代にはあまり力を入れてなかった『自己分析』とやらをし続け、これまでの自分も見つめ直しつつ、見出したキーワード。。。

 

それは。。

 

 

 

 

 

『ミーハー万歳』

 

 

自分は、

・流行りもんが好き

・周りにもちょっと先行ってる感を出したい

・テレビ、雑誌、ネット等々、メディア好き

・お笑いや芸能人情報にも詳しい方

・ちょっと世の中動かしちゃう?的な仕事がしたい

・でも自分が表に出て張り切るよりは裏方チックな仕事で、「あー、あの仕事?まぁ俺がやっててんけどな」とサラッと言えるような仕事がしたい(不純

 

1年の1/4の時間(つまり3ヵ月)を費やして出した分析結果が上記の通りです。

 

で、少し遡りますが(いや戻るんかい。長いて)、スタイリストの仕事をしているときに『PR会社』という存在を知り(※ファッション業界では“プレス”)、その方々と仕事をする機会が多々ありまして、興味を持ち始めていたのですね。

※よくファッション誌とかで「各ブランドの担当者おすすめ商品」といった特集や企画で誌面に登場したりコメントしたりしているあの人たちですね。雑誌に載るってカッケー!メディアに自分が出した情報が載るってカッケー! と思うワケですね。

 

でも、PR会社やPR職の求人はどうしても東京での募集がメインとなり、大阪では企業の広報ぐらいしかほとんどなく、且つ広報となると経験者採用しかないわけです。

 

で、大阪での就活中に求人サイトでたまたまPR会社の求人を見つけ、「未経験可」という表記に飛び付き速攻応募しました。履歴書を送るもなかなか返事の連絡がないのでせっかちな僕は、「あのー、先日履歴書を送った者なんですが、面接はいつして頂けるのでしょうか?」と、明らかに書類審査合格前提の上から口調で、半ばクレーム気味に連絡しました。

すると、面接日程が決まり、一次、二次面接と突破し、無事『PR会社』に就職することができたワケです。この会社では約4年半在籍し、様々な案件を担当させて頂きました。ある時は新施設オープンの内覧会PRを手掛け、ある時は東京キー局の情報・報道番組全部が来場する案件を手掛けたり、ある時は某有名女性不倫疑惑タレントを起用した周年イベントをし、ある年では全社のMVP賞を受賞させて頂きました。もっとこの会社に貢献し、恩返ししたい、という思いもありつつ、「ずっとこの会社でいいのか?PRの可能性は無限大であり、自分自身の可能性を拡げられる環境に身を置くべきでは?」という思いが沸々と沸いてきておりました。

 

そんな時、僕がずっと気になっていた競合他社のPR会社から求人サイト経由でスカウトのメッセージが来ました。「このタイミングのコレは、まさに運命でしかないやつやん!」と意気揚々と転職。

 

しかし、この判断が今思えば過信であり、人生の挫折を味わう結果となりました。

 

転職した会社には、大阪支社の立ち上げメンバーとして採用されました。勿論、できる自信はあったし、立ち上げも中々できる機会はないので覚悟を持って臨みました。大阪立ち上げメンバーは僕以外にもう一人、広告畑の“そこそこ”ベテラン経験者(♀)と一緒にジョインしておりました。この“そこそこ”♀がなかなかの曲者だったとは露知らず。。。

 

まずは、会社のアイデンティティーを知るため東京の本社で3ヵ月の研修。研修期間はとても充実しており、研修中にも関わらず様々なプロジェクトに携わらしてもらい自分の可能性を拡げられている事を実感しておりました。

で、研修が明け、いざ大阪にて旗揚げ開始。早々に某大手広告代理店より案件の相談があり、プレゼン資料を作成をすることに。恥ずかしながら僕は企画書作成の経験が乏しく、どちらかと言うと現場経験が主でした。企画書作成に不安はありつつも、そこは“そこそこ”♀がいたので協力してもらいながらすればいけるか、と。

とはいえ、その“そこそこ”♀は僕の企画書作成能力を上げるため、「まずは自分で作ってみて」と。(やや上から) そりゃそうだ、と思い僕も作成に臨むがやはり行き詰まることがしばしば。提出期限が迫ってきてもなかなか進まない僕はアドバイスを“そ♀”に求めるも「とりあえず作り」と。(完全に上から)

「もういいや」と自分の思うがままに徹夜の日々を繰り返しなんとか作り上げ、発表当日の朝にもう一人のスタッフと計3人で擦り合わせをしようとしたとき、なんと、“そ♀”も企画書を平行して作ってきていたらしく、そちらの企画書で擦り合わせが始まりました。

 

うんうん、まぁ裏で保険的に2人で進めていたことは百歩譲って理解できるし、むしろ申し訳ないぐらいに思っておりますが、、、、

自分の企画書に関するフィードバックが何一つない。。。まぁ出来が悪いのは勿論だが、どこが悪くてどう改善するべきか、自分自身ではやはりなかなか問題点を見出せないのが正直なところ。一方で、「見て、書きまくって学べ!何事も経験じゃ!」スタイルということも理解できなくはないのだが、数少ないメンバーでコミュニケーションを取ろうとしないこの人達とは、正直自分は合わないんじゃないかと。

で、そのプレゼンの結果ですが、結局“そ♀”の案は採用されず、他社に持っていかれることに。。しかも、僕が描いていた企画の一部が別の会社もアイデアとして出していたらしく、そこそこの評価をされていたようで。。。

「2人で作り上げていたら取れてたんじゃないでしょうか」と少し噛みついてみたのですが、“そこそこの経験がありプライドが高すぎる独身”♀は聞き入れず、それ以降目を見てコミュニケーションを取ることはなくなりました。

その後、様々なプレゼン案件が舞い込み、さらに激務度が増し、ほぼ家に帰れない状態が続くも、それぞれの個人プレーによる企画は通るはずもなく、何の実りもない日々に嫌気が差し、自分自身の力のなさにも落胆してしまい、心の面でしんどくなってしまい退職することになりました。

あの環境から一刻も早く逃げ出さないと心身共に崩れてしまう、というのが本音であります。

 

(やばー、初めての記事で5000字超えてまっせ。ほんま文章まとめる能力ないな。)

 

で、心身の充電ということで休職したのち、とりあえずは生活のためということで福祉用具メーカーに就職。営業兼広報担当として従事するも、仕事に何の面白みも見出せないまま約1年程働いておりましたが、懲りずにまた僕はPRの世界に戻ってきました。

地味で大変な事が多い仕事ですが、1つ1つの仕事が完結したときの達成感を味わってしまったこの身体と脳はそれを求めてしまいます。

 

今の会社は縁あって親切な人の紹介で(ほんま感謝です)入社しましたが、ほぼフリーランスのような働き方ができる環境なので、割かし自由に働かしてもらってます。

採用して頂いた社長も自由奔放感は否めないですが笑、仕事モードになった時は鬼気迫るものを感じるほどに魅力的な方です。超零細企業ではありますが、クオリティーの高い仕事ができるよう社長と共に精進していきたいと思います。

 

 

長くなりましたが、とりあえずこのへんで。最後走りましたね、、、

すいません初っ端から。

 

今後は柔らかいものから硬いもの、スパイスの効いたもの、甘酸っぱいもの、ものっすご臭いものなど織り交ぜながら更新していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。